3月のおはなし ~上野大仏とサクラサク~

覆屋がかかる前の大仏さま

 

2月27日放送のTBS「世界ふしぎ発見」で、上野公園は日本の¨はじめて¨がいっぱい!
それは今の上野公園がかつて「東叡山 寛永寺」だったから!
というテーマで上野公園と当山の関わりをご紹介頂きました。

将軍霊廟や慶喜公ご謹慎の間、上野公園内の当山諸堂などをミステリーハンターの竹内海南江さんと巡る中で、とても印象に残ったエピソードが一つあるのでご紹介します。

かつては浮世絵にも描かれ、大仏殿と呼ばれる覆屋の内で6メートルの高さを誇る銅製であった寛永寺の大仏。
明治維新で覆屋が解体され、関東大震災で頭部が落下した後、戦時下の軍需金属資源として胴体が供出されお顔のみが残りました。
昭和47年、上野観光連盟をはじめ多くの方のご協力のもと、現在のレリーフ状で復興安置され、そしていつしか(今はお顔だけなので)¨これ以上落ちない合格大仏¨として受験生等から信仰を集め、平成に至って再び大仏さまに覆屋を復興させることができました。

そんな大仏様の傍らには多くの絵馬が奉納されているのですが、収録の際に竹内さんが絵馬の形が二種類ある事に気が付かれました。
実はもともと上野大仏の絵馬は、大仏さまのお顔が描かれた一種類だけを授与し、そこに合格を願う内容とお名前を書いて奉納してもらっていましたが、参拝者が増えるにつれ、従来の絵馬に合格のお礼を書いて奉納なさる方も増えてきましたので、お礼用として合格発表にちなんだ桜の花びら型の絵馬を授与するようにしたのです。

元来、仏さまにお願い事をしてそれが叶った折には「お礼参り」をするのが習慣でした。
時代の流れと共にその習慣は薄まってしまったように感じていましたが、合格大仏においては、こちらから勧めずとも自発的にお礼参りをなさる方がまだまだ多くいらっしゃることに竹内さんも感心してくださいました。

さながら、祈る心の大切さと、それが生む真摯な姿勢を大仏さまが見守って下さっているかのように思います。

東叡山寛永寺 教化部